海上の天候や沖合の廻船をみるために用いられた日和山です。現在、住吉神社(建替)や方角石が残されています。天保2(1831)年、江戸の絵師長谷川雪旦の手による「北国一覧写」にも描かれ、当時の新潟町では特筆すべき名所のひとつであったことがうかがわれます。明治13(1880)年8月に大火があり櫓が焼失したため翌年300メートル程、海寄りの丘に櫓を立てて新たな日和山とました。
海上の天候や沖合の廻船をみるために用いられた日和山です。現在、住吉神社(建替)や方角石が残されています。天保2(1831)年、江戸の絵師長谷川雪旦の手による「北国一覧写」にも描かれ、当時の新潟町では特筆すべき名所のひとつであったことがうかがわれます。明治13(1880)年8月に大火があり櫓が焼失したため翌年300メートル程、海寄りの丘に櫓を立てて新たな日和山とました。