明治27(1894)年、河野(現・福井県南越前町)出身の北前船主・右近権左衛門によって建造されました。妻壁の「//」は右近家の印である「一膳箸」を意味し、船の帆柱に掲げられた船旗にも使用されています。右近家は、明治30年代には北海道岩内で炭鉱経営を手がけるなど、多角的な経営を行っています。加賀の北前船主・広海家らとともに日本火災海上保険株式会社を創設しました。大正13(1924)年、手宮駅構内火薬爆発事故により越屋根がなくなり、現在の外観となりました。