多度津町
多度津は元禄7(1694)年、丸亀藩から分家した1万石の小藩ですが、巨費を投じて港を整備し、北前船も停泊する港町として発展しました。また西国からの金毘羅参りの船でも大いににぎわいました。特に砂糖、綿、塩は「讃岐三白」と言われ、主要商品でした。司馬遼太郎は『菜の花の沖』で多度津を、「船舶の世界においては、多度津は田舎ではない。船大工などもむしろ兵庫より多く」と描いています。多度津町立資料館には、全国で3番目に古い18世紀中期の弁才船の模型が展示されています。瀬戸内海で誕生した弁才船は帆走性能がよく、北前船の時代には、他の地域の船型は姿を消しました。多度津の船模型は、弁才船初期のスマートな形を伝えています。
概要
多度津は元禄7(1694)年、丸亀藩から分家した1万石の小藩ですが、巨費を投じて港を整備し、北前船も停泊する港町として発展しました。また西国からの金毘羅参りの船でも大いににぎわいました。特に砂糖、綿、塩は「讃岐三白」と言われ、主要商品でした。司馬遼太郎は『菜の花の沖』で多度津を、「船舶の世界においては、多度津は田舎ではない。船大工などもむしろ兵庫より多く」と描いています。多度津町立資料館には、全国で3番目に古い18世紀中期の弁才船の模型が展示されています。瀬戸内海で誕生した弁才船は帆走性能がよく、北前船の時代には、他の地域の船型は姿を消しました。多度津の船模型は、弁才船初期のスマートな形を伝えています。
都道府県
- 香川県
市町村
- 多度津町
類型
- 寄港地
類型
- 寄港地
年代
- 年代不明
関連
文化財