412件ヒットしました

 構成文化財 燕喜館(旧齋藤家住宅)主屋

クリックで拡大

説明

北前船等で財をなした新潟町の代表的な商家・齋藤家が、明治41(1908)年の大火の後、焼失した旧宅に代えて新築した邸宅です。商家部分の主屋棟と接客部分の座敷棟に分かれていました。平成9(1997)年に座敷棟が白山公園内に移築。杉の四方柾、紫檀・黒檀を多用し、欄間や床の間を数寄屋風とする等、贅を凝らした造りです。館名は、接客のための部屋を「宴を催し、楽しみ喜ぶ」という意味で「燕喜館」と称したことからきています。平成12(2000)年4月に国登録文化財となりました。

関連サイト

都道府県

  • 新潟県

市町村

  • 新潟市

類型

  • 寄港地

種別

  • 構成文化財
  • 建物

サイズ
構造等

木造平屋建て・寄棟・桟瓦葺
創建時約776㎡、現存約241㎡

所在地

新潟県新潟市中央区一番堀通町1-2
白山公園内

年代

  • 1908年 建築
  • 明治時代

明治41年建築

指定

国登録有形文化財(2000年)

参考資料

新潟市歴史双書6『新潟市の文化財』(新潟市、2002年)、新潟市歴史博物館編『新潟市の文化財』(2019)、横木剛『新潟の廻船問屋』(アミックス、2021年)

関連情報

開館時間:9:00~17:00
休館日:毎月第1・3月曜日
(休日の場合は翌日)・12/29~1/3
観覧料:見学は無料

他地域
との
つながり

福井県坂井市(齋藤家の出身地)

 構成文化財 旧小澤家住宅

クリックで拡大

説明

廻船業・廻船問屋業等に携わった商家・小澤家の店舗兼住宅。道具蔵は安政4(1857)年銘の鍵が見つかっており幕末期、主屋は明治13(1880)年の大火直後の建築と推測され、旧新潟町域では現存最古の町家の一つで、典型例でもあります。明治時代中期から末にかけて新座敷・離れ座敷等の増築や庭園造りが進みました。新座敷は技巧を凝らした造りに燕喜館との類似性が認められます。庭園は石組み等に伝統的手法が見られる一方、芝を張るモダンな要素も取り入れられています。これら建物と庭園が一体となり、明治時代の豪商の屋敷構えを構成しています。平成18(2006)年8月に新潟市文化財指定されました。

関連サイト

都道府県

  • 新潟県

市町村

  • 新潟市

類型

  • 寄港地

種別

  • 構成文化財
  • 建物

サイズ
構造等

木造2階建て、一部3階建て 
敷地面積約1600㎡、延床面積約860㎡

所在地

新潟県新潟市中央区上大川前通12-2733

年代

  • 1857年 建築-1880年 建築
  • 江戸時代
  • 明治時代

道具蔵:安政4年建築と推測 主屋:明治13年建築と推測

指定

新潟市指定文化財(2006年)

参考資料

「Ⅴ 旧小澤家住宅概要調査報告」『新潟市歴史文化施設概要調査報告書』(新潟市、2003年)、新潟市歴史博物館編『新潟市の文化財』(2019年)、川村晃正「明治初年新潟小澤家の北前船ビジネスの一齣」『専修大学社会科学研究所月報』(667・668、2019年)、安宅俊介「明治初期、初代小澤七三郎の廻船「幸運丸」経営」『新潟県博物館協議会研究紀要』(第7号、2020年2月)

関連情報

開館時間:9:30~17:00
休館日:毎週月曜日(休日の場合は翌日) 休日の翌日(土・日の場合は火曜日) 12/28~1/3など
入館料:(個人)一般200円・小中学生100円 (団体=20人以上)一般160円・小中学生80円 土日祝日は小中学生無料

他地域
との
つながり

石川県加賀市(小澤家祖先の出身地)

 構成文化財 日本舞踊市山流(古町芸妓)

クリックで拡大

説明

北前船の隆盛で全国屈指の花街となった新潟・古町を支える芸妓の芸の基礎です。江戸時代中期に市山七十郎が大坂で創始。幕末、三代目七十郎が新潟を訪れ、後の四代目に舞踏を指南しました。四代目以降は新潟が本拠地となり、以後女性舞踏家が流派を継承しています。地方に宗家があり、その地で140年以上続いているのは市山流のみです。舞踏は上方風で古格を伝えているとされ、芸術性が高いと評価されています。平成15(2003)年7月、新潟市文化財指定(市指定無形文化財第1号)となりました。

関連サイト

都道府県

  • 新潟県

市町村

  • 新潟市

類型

  • 寄港地

種別

  • 構成文化財
  • その他

所在地

新潟県新潟市中央区古町通9番町
(現保持者:市山七十郎)

指定

新潟市指定文化財(2003年)

参考資料

『新潟市文化財調査報告 日本舞踊市山流』(新潟市教育委員会、2003年)、『新潟美人展』(新潟市歴史博物館、2011年)、藤村誠『新潟の花街』(新潟日報事業社、2011年)

関連情報

毎年9月中旬の日曜日開催 
「ふるまち新潟をどり」など

他地域
との
つながり

大阪府大阪市(創始者の出身地)

 構成文化財 湊稲荷神社願懸け高麗犬

クリックで拡大

説明

湊稲荷神社の高麗(こま)犬。神社は信濃川左岸のかつての船つなぎ場近くにあり、水商売や海運業、漁業従事者に多く信仰され、別名道楽稲荷。享保元(1716)年創立と伝わります。像には嘉永7(1854)年奉納の銘があります。回転軸により像を手で回せるようになっており、船乗りたちが西向きの風で出帆できないよう遊女たちが高麗犬を西向きにして願をかけたとされます。先代の高麗犬は願いをかなえさせることができなかったため神社の前を流れる艀下(はしけ)川に落とされたともいわれます。昭和55(1980)年11月に新潟市文化財指定されました。

関連サイト

都道府県

  • 新潟県

市町村

  • 新潟市

類型

  • 寄港地

種別

  • 構成文化財
  • 狛犬
  • 石造物(灯籠、玉垣など)

サイズ
構造等

高さ57㎝(2つとも)
花崗岩製

所在地

新潟県新潟市中央区稲荷町3482

年代

  • 1854年 奉納
  • 江戸時代

嘉永7年奉納

指定

新潟市指定文化財(1980年)

参考資料

「湊稲荷神社 願懸け高麗犬について」『昭和54年度 新潟市文化財調査資料』(新潟市教育委員会、1980年)、『新潟市の文化財』(新潟市歴史双書6、新潟市、2002年)

関連情報

公開
指定文化財の高麗犬は拝殿前に移設
参道に立つものは1995年に新造

他地域
との
つながり

【逆風祈願関連の地蔵】
石川県志賀町(腰巻地蔵)
宮城県塩釜市(しばり地蔵)
島根県隠岐郡島町(草履かけ地蔵)

 構成文化財 新潟まつり(湊祭・住吉祭)

クリックで拡大

説明

江戸時代、航海の安全を祈り、海の神である住吉神を祀るため始まったとされる祭です。当初は湊祭と呼ばれ、七夕の時期だったことから七夕まつりともいわれました。神輿を車輪付きの「御座船」に乗せて曳くのが特徴です。新潟町の各町内で組を作り、纏や傘鉾、踊り屋台等の出し物が巡行しました。夜には灯篭や提灯が出され、火影が佐渡からも見えるほどだったといいます。時々の為政者により規模制限や禁止令が出され、時代とともに川開きや商工祭等他のまつりと習合して名称や形を変えながらも、現在の新潟まつりにつながっています。

関連サイト

都道府県

  • 新潟県

市町村

  • 新潟市

類型

  • 寄港地

種別

  • 構成文化財
  • 祭礼

参考資料

『湊祭復元事業 新潟まつりの歴史をさぐる』(みなと新潟実行委員会、2016年)

関連情報

毎年8月上旬の金・土・日曜日開催
「民謡流し」「住吉行列」「水上みこし渡御」「市民みこし」「花火大会」など

他地域
との
つながり

大阪府大阪市(住吉大社)

 構成文化財 新潟奉行川村修就関係資料

クリックで拡大

説明

天保14(1843)年に幕府領となった新潟町に関して、初代新潟奉行川村修就が収集・記録した資料群。「蜑の手振り」は幕末期の新潟町における、北前船を始めとした諸国廻船・地廻り船の船囲を始めとした水辺の人びとの営みや、湊祭や盆躍り等の様子について、動きのある画と、詳細な詞書で記録しています。また、新潟町が幕府領として上知されるきっかけとなった「抜荷」(密貿易)についての調査報告書の控えや、海岸防備に関する文書、甲冑等をはじめとした川村の遺品等も含まれています。平成25(2013)年3月、新潟県文化財指定されました。

関連サイト

都道府県

  • 新潟県

市町村

  • 新潟市

類型

  • 寄港地

種別

  • 構成文化財
  • 文書
  • 絵図
  • その他

サイズ
構造等

1859点(文書1598点、遺品等48点等)

所在地

新潟県新潟市中央区柳島町2-10 
新潟市歴史博物館

年代

  • 1843年以後
  • 江戸時代

天保14年幕領となる

指定

新潟県指定文化財(2013年)

参考資料

『新潟市の文化財』(新潟市歴史双書6、新潟市、2002年)、『川村修就とゆらぐ幕府支配』(新潟市歴史博物館、2005年)、安宅俊介「近世新潟町の船囲」『新潟市歴史博物館研究紀要』(第10号、2014年3月)、中野三義『新潟奉行川村修就の治政の総合的研究』(松美台書房、2016年)

関連情報

新潟市歴史博物館みなとぴあで一部公開中

他地域
との
つながり

【川村奉行転出先】
大阪府堺市、大阪府大阪市、長崎県長崎市

 構成文化財 大船絵馬

クリックで拡大

説明

市島家が水原町(現阿賀野市)に設けた分家の三代目の治郎吉が、白山神社に奉納した絵馬です。画面寸法は縦1.54m、横3.24mと大型です。嘉永5(1852)年、新潟の画人井上文昌が描きました。市島家はこのころ廻船40隻を持ち、家運の絶頂期を迎えていたといわれます。絵馬には、同家が取り扱う「御城米」(幕府領の年貢米)を新潟湊から積み出し、江戸・大坂で積み下ろす光景が極彩色で描かれ、現在も白山神社拝殿に掛けられています。昭和44(1969)年3月に新潟県文化財指定されました。

関連サイト

都道府県

  • 新潟県

市町村

  • 新潟市

類型

  • 寄港地

種別

  • 構成文化財
  • 船絵馬

サイズ
構造等

画面寸法 縦154㎝、横324㎝

所在地

新潟県新潟市中央区一番堀通町1-1
白山神社

年代

  • 1852年 奉納
  • 江戸時代

指定

新潟県指定文化財(1969年)

参考資料

『新潟市の文化財』(新潟市歴史双書6、新潟市、2002年)、伊東祐之「越後廻米輸送における地元請負の展開」『新潟市歴史博物館研究紀要』(2、2006年)

関連情報

公開(拝殿内に設置) レプリカを新潟市歴史博物館みなとぴあ常設展で展示

他地域
との
つながり

【御城米の搬出先】
東京都、大阪府

 構成文化財 金刀比羅神社難船彫刻絵馬

クリックで拡大

説明

寄合町の金刀比羅神社は、新潟町の廻船問屋鈴木弥五左エ門が、持ち船である白山丸の遭難を祈願により回避できたことに感謝し、讃岐(香川県)金刀比羅神社を勧請、文政4(1821)年に創立しました。絵馬は明治30(1897)年、神社が自社の霊験を示すため、白山丸船頭の話を基に、遭難時の様子を欅の板に彫刻、額装し、奉納したものです。一般の絵馬にはない彫刻の手法が用いられている点が珍しいです。昭和59(1984)年11月に新潟市文化財指定されています。

関連サイト

都道府県

  • 新潟県

市町村

  • 新潟市

類型

  • 寄港地

種別

  • 構成文化財
  • 船絵馬

サイズ
構造等

彫刻部の寸法 縦53㎝、横153㎝
欅(けやき)

所在地

新潟県新潟市中央区寄合町4579
金刀比羅神社

年代

  • 1897年 奉納
  • 明治時代

明治30年奉納

指定

新潟市指定文化財(1984年)

参考資料

「金刀比羅神社船絵馬調査」『昭和58年度新潟市文化財調査概要』(新潟市教育委員会社会教育課、1984年)、『新潟市の文化財』(新潟市歴史双書6、新潟市、2002年)

関連情報

公開(拝殿内に設置)

他地域
との
つながり

香川県仲多度郡琴平町(金刀比羅宮)

 構成文化財 金刀比羅神社奉納模型和船

クリックで拡大

説明

廻船の船主や船頭が海上安全を願って西厩島町の金刀比羅神社に奉納した一群の模型和船です。帆柱や舵等精巧に作られています。奉納年は嘉永5(1852)年から明治24(1891)年にわたりますが、明治期のものが多いです。新潟町の海運業者からの奉納が主だが、中には隠岐国島後布施(島根県隠岐郡)からのものもみられます。北前船で栄えた新潟湊の幕末から明治中期の様相を示す資料です。28点が昭和40(1965)年6月、国文化財指定(有形民俗)となりました。

関連サイト

都道府県

  • 新潟県

市町村

  • 新潟市

類型

  • 寄港地

種別

  • 構成文化財
  • 奉納物
  • 船模型

サイズ
構造等

長さ 
最大166㎝ 最小59㎝

所在地

新潟県新潟市中央区西厩島町2338-1
金刀比羅神社

年代

  • 1852年 奉納-1891年 奉納
  • 江戸時代
  • 明治時代

嘉永5(1852)年〜明治24(1891)年奉納

指定

国指定文化財(1965年)

参考資料

「金刀比羅神社奉納模型和船調査」『昭和58年度新潟市文化財調査概要』(新潟市教育委員会社会教育課、1984年)

関連情報

新潟市歴史博物館にて一部公開中 *開館時間・休館日などは同館HP参照

他地域
との
つながり

島根県隠岐郡島町(奉納元)

出雲崎町

出雲崎には江戸時代、幕府の天領7万石を支配する代官所がありました。古い家並みの通りのはずれに、代官所跡があります。この通りは、佐渡の金銀を江戸へ運ぶ「北国街道」でした。町営の観光施設「越後出雲崎天領の里」には、佐渡奉行の御座船の模型が展示されています。出雲崎には回船問屋が並び、佐渡奉行が渡海する際には、たくさんの船が伴走したそうです。ここでは「佐渡おけさ」の元唄「出雲崎おけさ」が歌われていました。その元々は九州の「ハイヤ節」で、北前船の船乗りたちが伝えた歌です。

クリックで拡大

概要

出雲崎には江戸時代、幕府の天領7万石を支配する代官所がありました。古い家並みの通りのはずれに、代官所跡があります。この通りは、佐渡の金銀を江戸へ運ぶ「北国街道」でした。町営の観光施設「越後出雲崎天領の里」には、佐渡奉行の御座船の模型が展示されています。出雲崎には回船問屋が並び、佐渡奉行が渡海する際には、たくさんの船が伴走したそうです。ここでは「佐渡おけさ」の元唄「出雲崎おけさ」が歌われていました。その元々は九州の「ハイヤ節」で、北前船の船乗りたちが伝えた歌です。

都道府県

  • 新潟県

市町村

  • 出雲崎町

類型

  • 寄港地

類型

  • 寄港地

年代

  • 年代不明

関連
文化財

関連
サイト