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 構成文化財 湊稲荷神社願懸け高麗犬

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説明

湊稲荷神社の高麗(こま)犬。神社は信濃川左岸のかつての船つなぎ場近くにあり、水商売や海運業、漁業従事者に多く信仰され、別名道楽稲荷。享保元(1716)年創立と伝わります。像には嘉永7(1854)年奉納の銘があります。回転軸により像を手で回せるようになっており、船乗りたちが西向きの風で出帆できないよう遊女たちが高麗犬を西向きにして願をかけたとされます。先代の高麗犬は願いをかなえさせることができなかったため神社の前を流れる艀下(はしけ)川に落とされたともいわれます。昭和55(1980)年11月に新潟市文化財指定されました。

関連サイト

都道府県

  • 新潟県

市町村

  • 新潟市

類型

  • 寄港地

種別

  • 構成文化財
  • 狛犬
  • 石造物(灯籠、玉垣など)

サイズ
構造等

高さ57㎝(2つとも)
花崗岩製

所在地

新潟県新潟市中央区稲荷町3482

年代

  • 1854年 奉納
  • 江戸時代

嘉永7年奉納

指定

新潟市指定文化財(1980年)

参考資料

「湊稲荷神社 願懸け高麗犬について」『昭和54年度 新潟市文化財調査資料』(新潟市教育委員会、1980年)、『新潟市の文化財』(新潟市歴史双書6、新潟市、2002年)

関連情報

公開
指定文化財の高麗犬は拝殿前に移設
参道に立つものは1995年に新造

他地域
との
つながり

【逆風祈願の例】
石川県志賀町(腰巻地蔵)
宮城県塩釜市(しばり地蔵)
島根県隠岐郡隠岐の島町(草履かけ不動・足止め不動)

 構成文化財 新潟まつり(湊祭・住吉祭)

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説明

江戸時代、航海の安全を祈り、海の神である住吉神を祀るため始まったとされる祭です。当初は湊祭と呼ばれ、七夕の時期だったことから七夕まつりともいわれました。神輿を車輪付きの「御座船」に乗せて曳くのが特徴です。新潟町の各町内で組を作り、纏や傘鉾、踊り屋台等の出し物が巡行しました。夜には灯篭や提灯が出され、火影が佐渡からも見えるほどだったといいます。時々の為政者により規模制限や禁止令が出され、時代とともに川開きや商工祭等他のまつりと習合して名称や形を変えながらも、現在の新潟まつりにつながっています。

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都道府県

  • 新潟県

市町村

  • 新潟市

類型

  • 寄港地

種別

  • 構成文化財
  • 祭礼

参考資料

『湊祭復元事業 新潟まつりの歴史をさぐる』(みなと新潟実行委員会、2016年)

関連情報

毎年8月上旬の金・土・日曜日開催
「大民謡流し」「住吉行列」「水上みこし渡御」「市民みこし」「花火大会」など

他地域
との
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大阪府大阪市(住吉大社)

 構成文化財 新潟奉行川村修就関係資料

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説明

天保14(1843)年に幕府領となった新潟町に関して、初代新潟奉行川村修就が収集・記録した資料群。「蜑の手振り」は幕末期の新潟町における、北前船を始めとした諸国廻船・地廻り船の船囲を始めとした水辺の人びとの営みや、湊祭や盆躍り等の様子について、動きのある画と、詳細な詞書で記録しています。また、新潟町が幕府領として上知されるきっかけとなった「抜荷」(密貿易)についての調査報告書の控えや、海岸防備に関する文書、甲冑等をはじめとした川村の遺品等も含まれています。平成25(2013)年3月、新潟県文化財指定されました。

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都道府県

  • 新潟県

市町村

  • 新潟市

類型

  • 寄港地

種別

  • 構成文化財
  • 文書
  • 絵図
  • その他

サイズ
構造等

1859点(文書1598点、遺品等48点等)

所在地

新潟県新潟市中央区柳島町2-10 
新潟市歴史博物館

年代

  • 1843年以後
  • 江戸時代

天保14年幕領となる

指定

新潟県指定文化財(2013年)

参考資料

『新潟市の文化財』(新潟市歴史双書6、新潟市、2002年)、『川村修就とゆらぐ幕府支配』(新潟市歴史博物館、2005年)、安宅俊介「近世新潟町の船囲」『新潟市歴史博物館研究紀要』(第10号、2014年3月)、中野三義『新潟奉行川村修就の治政の総合的研究』(松美台書房、2016年)

関連情報

新潟市歴史博物館みなとぴあで一部公開中

他地域
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【川村奉行転出先】
大阪府堺市、大阪府大阪市、長崎県長崎市

 構成文化財 大船絵馬

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説明

市島家が水原町(現阿賀野市)に設けた分家の三代目の治郎吉が、白山神社に奉納した絵馬です。画面寸法は縦1.54m、横3.24mと大型です。嘉永5(1852)年、新潟の画人井上文昌が描きました。市島家はこのころ廻船40隻を持ち、家運の絶頂期を迎えていたといわれます。絵馬には、同家が取り扱う「御城米」(幕府領の年貢米)を新潟湊から積み出し、江戸・大坂で積み下ろす光景が極彩色で描かれ、現在も白山神社拝殿に掛けられています。昭和44(1969)年3月に新潟県文化財指定されました。

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都道府県

  • 新潟県

市町村

  • 新潟市

類型

  • 寄港地

種別

  • 構成文化財
  • 船絵馬

サイズ
構造等

画面寸法 縦154㎝、横324㎝

所在地

新潟県新潟市中央区一番堀通町1-1
白山神社

年代

  • 1852年 奉納
  • 江戸時代

指定

新潟県指定文化財(1969年)

参考資料

『新潟市の文化財』(新潟市歴史双書6、新潟市、2002年)、伊東祐之「越後廻米輸送における地元請負の展開」『新潟市歴史博物館研究紀要』(2、2006年)

関連情報

公開(拝殿内に設置) レプリカを新潟市歴史博物館みなとぴあ常設展で展示

他地域
との
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【御城米の搬出先】
東京都、大阪府

 構成文化財 金刀比羅神社難船彫刻絵馬

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説明

寄合町の金刀比羅神社は、新潟町の廻船問屋鈴木弥五左エ門が、持ち船である白山丸の遭難を祈願により回避できたことに感謝し、讃岐(香川県)金刀比羅神社を勧請、文政4(1821)年に創立しました。絵馬は明治30(1897)年、神社が自社の霊験を示すため、白山丸船頭の話を基に、遭難時の様子を欅の板に彫刻、額装し、奉納したものです。一般の絵馬にはない彫刻の手法が用いられている点が珍しいです。昭和59(1984)年11月に新潟市文化財指定されています。

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市町村

  • 新潟市

類型

  • 寄港地

種別

  • 構成文化財
  • 船絵馬

サイズ
構造等

彫刻部の寸法 縦53㎝、横153㎝
欅(けやき)

所在地

新潟県新潟市中央区寄合町4579
金刀比羅神社

年代

  • 1897年 奉納
  • 明治時代

明治30年奉納

指定

新潟市指定文化財(1984年)

参考資料

「金刀比羅神社船絵馬調査」『昭和58年度新潟市文化財調査概要』(新潟市教育委員会社会教育課、1984年)、『新潟市の文化財』(新潟市歴史双書6、新潟市、2002年)

関連情報

公開(拝殿内に設置)

他地域
との
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香川県仲多度郡琴平町(金刀比羅宮)

 構成文化財 金刀比羅神社奉納模型和船

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説明

廻船の船主や船頭が海上安全を願って西厩島町の金刀比羅神社に奉納した一群の模型和船です。帆柱や舵等精巧に作られています。奉納年は嘉永5(1852)年から明治24(1891)年にわたりますが、明治期のものが多いです。新潟町の海運業者からの奉納が主だが、中には隠岐国島後布施(島根県隠岐郡)からのものもみられます。北前船で栄えた新潟湊の幕末から明治中期の様相を示す資料です。28点が昭和40(1965)年6月、国文化財指定(有形民俗)となりました。

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市町村

  • 新潟市

類型

  • 寄港地

種別

  • 構成文化財
  • 奉納物
  • 船模型

サイズ
構造等

長さ 
最大166㎝ 最小59㎝

所在地

新潟県新潟市中央区西厩島町2338-1
金刀比羅神社

年代

  • 1852年 奉納-1891年 奉納
  • 江戸時代
  • 明治時代

嘉永5(1852)年〜明治24(1891)年奉納

指定

国指定文化財(1965年)

参考資料

「金刀比羅神社奉納模型和船調査」『昭和58年度新潟市文化財調査概要』(新潟市教育委員会社会教育課、1984年)

関連情報

見学は予約制(問い合わせは西厩島金刀比羅神社 025-223-3573)

他地域
との
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島根県隠岐郡島町(奉納元)

出雲崎町

出雲崎には江戸時代、幕府の天領7万石を支配する代官所がありました。古い家並みの通りのはずれに、代官所跡があります。この通りは、佐渡の金銀を江戸へ運ぶ「北国街道」でした。町営の観光施設「越後出雲崎天領の里」には、佐渡奉行の御座船の模型が展示されています。出雲崎には回船問屋が並び、佐渡奉行が渡海する際には、たくさんの船が伴走したそうです。ここでは「佐渡おけさ」の元唄「出雲崎おけさ」が歌われていました。その元々は九州の「ハイヤ節」で、北前船の船乗りたちが伝えた歌です。

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概要

出雲崎には江戸時代、幕府の天領7万石を支配する代官所がありました。古い家並みの通りのはずれに、代官所跡があります。この通りは、佐渡の金銀を江戸へ運ぶ「北国街道」でした。町営の観光施設「越後出雲崎天領の里」には、佐渡奉行の御座船の模型が展示されています。出雲崎には回船問屋が並び、佐渡奉行が渡海する際には、たくさんの船が伴走したそうです。ここでは「佐渡おけさ」の元唄「出雲崎おけさ」が歌われていました。その元々は九州の「ハイヤ節」で、北前船の船乗りたちが伝えた歌です。

都道府県

  • 新潟県

市町村

  • 出雲崎町

類型

  • 寄港地

類型

  • 寄港地

年代

  • 年代不明

関連
文化財

関連
サイト

 構成文化財 妻入りの街並

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説明

北前船の寄港地、佐渡の金銀荷揚地として繁栄した出雲崎の町並みです。通りに面して大棟が直角になっている「妻入り」という形式で、家と家とが重なり合うように軒を連ね、海岸線に沿い約4km続きます。江戸時代の出雲崎町は、越後で一番人口密度が高く、多くの人が居住できるように間口(まぐち)が狭く、「うなぎの寝床」のような奥行きの長い妻入りの形式がとられていました。また、当時は間口によって税金が掛けられていたため、2間や3間半の家が多く並んでいました。

関連サイト

都道府県

  • 新潟県

市町村

  • 出雲崎町

類型

  • 寄港地

種別

  • 構成文化財
  • まちなみ

サイズ
構造等

海岸沿いに妻入り住宅が3.6㎞に渡って連なる旧街道

所在地

新潟県三島郡出雲崎町海岸地区

参考資料

『荒海や佐渡によこたふ天河」‐天領出雲崎の歴史的遺産‐』(日本ナショナルトラスト、1991年)、『出雲崎町史・通史編』(出雲崎町、1993年)

他地域
との
つながり

新潟県佐渡市
(金銀荷揚げ、北前船寄港地)

 構成文化財 旧泊屋

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説明

江戸時代に佐渡の金山の渡海港・北前船の寄港地として栄えた出雲崎湊を拠点に活躍した廻船問屋・泊屋佐野家の邸宅跡です。船着き場や蔵などが現存します。佐野家は、屋号を泊屋と称し、のちに地主に転じました。佐野家文書は、江戸後期から明治期の廻船問屋としての活動や地主としての活動を示す資料が中心で、現在は新潟大学付属図書館に所蔵されています。

都道府県

  • 新潟県

市町村

  • 出雲崎町

類型

  • 寄港地

種別

  • 構成文化財
  • 建物

所在地

新潟県三島郡出雲崎町尼瀬(岩船町)

参考資料

佐藤吉太郎編著『出雲崎編年史』
(良寛記念館、1972年)

 構成文化財 船絵馬群(羽黒神社、鳴滝神社、光照寺)

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説明

北前船の船主らが航海の安全を祈願し、奉納した船絵馬です。羽黒神社の29面の中には、船絵馬を専門とする絵馬師大坂黒金橋絵馬藤の作品の他、絵馬師を真似て書いた出雲崎の絵師雲浦梅林の作品など興味深い資料が残っています。また、光照寺の船絵馬には2艘の北前船が描かれる貴重な作品が含まれています。

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  • 新潟県

市町村

  • 出雲崎町

類型

  • 寄港地

種別

  • 構成文化財
  • 船絵馬

所在地

新潟県三島郡出雲崎町羽黒町650
新潟県三島郡出雲崎町鳴滝町370
新潟県三島郡出雲崎町尼瀬1280
(伊勢町)

指定

出雲崎町指定有形民俗文化財

参考資料

『出雲崎町史』
(出雲崎町、1993年ほか)