苦楽松右衛門の墓

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説明

初代工楽松右衛門は、兵庫の北風家の番頭をしていた喜多二平の家に長らく住み、研究を重ねながら、帆船の帆の製造法を発明しました。この「松右衛門帆」は天明期(1781~1788年)頃に用いられました。この墓は、高砂市の十輪院にある墓をモデルとして八王寺境内に一回り小さいものを、松右衛門帆を販売する船具商となった喜多二平により建立されたものです。十輪院の墓石には「工楽」であるのに対し、八王寺の墓石には「苦楽」と刻まれています。この文字の違いには、二平がともに苦楽をしたからだとか、苦労を楽しんだ人であったからなど諸説あり定かなものではありません。

関連サイト

都道府県

  • 兵庫県

市町村

  • 神戸市

類型

  • 寄港地

種別

  • 構成文化財
  • その他

所在地

兵庫県神戸市兵庫区羽坂通2丁目1
八王寺

他地域
との
つながり

兵庫県高砂市
(工楽松右衛門の出身地、墓地)