直江津の町並み

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説明

北前船で栄えた風情が色濃く漂う湊町の町並みで、北前船がもたらした笏谷石や御影石等がまちなかに見られます。上杉氏に代わり春日山城主となった堀氏が直江津の関川右岸に福島城を築きました。関川右岸には城と城下町が広がり、関川左岸には「直江町」と「今町」があり、関川には橋が架けられていました。堀氏に代わり、徳川家康の六男松平忠輝が慶長19(1614)年、福島城を廃し城と城下町を高田に移しました。そして関川に架かる橋を廃して街道を全て高田城下経由とし、多くの特権を高田商人のものとし、政治経済の中心は高田に替わりました。直江津には、直江津が廃れることを案じてとどまることを願い出た「八坂神社」と湊町「今町」だけが残されました。その後、今町は立地を生かし海上交通で経済力を高め、北前船寄港地として繁栄しました。高田へ城が移った頃は400軒前後だった今町の家数は、幕末には3倍以上に増えたとされています。明治3(1870)年の「渡世向軒別書上帳」を見ると、新町は町会所が置かれ政治の中心であるとともに、さまざまな商店が軒を連ね、質屋や飛脚があるなど港町の中心、川端町は廻船問屋や廻船荷宿があり湊の輸送や商業の拠点、中嶋町は花街、中町は船大工等の職人、荒物屋等の商人の町であったこと、町ごとに様々な湊町としての役割を持っていたことがわかります。

都道府県

  • 新潟県

市町村

  • 上越市

類型

  • 寄港地

種別

  • 構成文化財
  • まちなみ
  • 石造物(灯籠、玉垣など)

所在地

新潟県上越市