12件ヒットしました

新潟市

2019年1月に明治の開港から150年を迎えた新潟は、あわせると全国有数の流域面積を誇る信濃川と阿賀野川という二大河川の河口部に開けたまちです。すでに平安時代の10世紀から国津である「蒲原津」が設けられ、中世には蒲原、沼垂、新潟の三つのみなとが存在しました。江戸時代に日本海航路が発達すると北前船をはじめとした廻船や、信濃川・阿賀野川水系の川船が各地から集まり、日本海側有数のみなとまちとして栄えました。信濃川に沿った弓なりの町は通りと小路が交わり、縦横にめぐらされた堀の岸には柳が植えられ、表通りに面して縦長の町屋敷が並んでいました。諸外国に開港した後も近代都市として発展を続けています。

クリックで拡大

概要

2019年1月に明治の開港から150年を迎えた新潟は、あわせると全国有数の流域面積を誇る信濃川と阿賀野川という二大河川の河口部に開けたまちです。すでに平安時代の10世紀から国津である「蒲原津」が設けられ、中世には蒲原、沼垂、新潟の三つのみなとが存在しました。江戸時代に日本海航路が発達すると北前船をはじめとした廻船や、信濃川・阿賀野川水系の川船が各地から集まり、日本海側有数のみなとまちとして栄えました。信濃川に沿った弓なりの町は通りと小路が交わり、縦横にめぐらされた堀の岸には柳が植えられ、表通りに面して縦長の町屋敷が並んでいました。諸外国に開港した後も近代都市として発展を続けています。

都道府県

  • 新潟県

市町村

  • 新潟市

類型

  • 寄港地

類型

  • 寄港地

年代

  • 年代不明

関連
文化財

関連
サイト

 構成文化財 日和山

クリックで拡大

説明

海上の天候や沖合の廻船をみるために用いられた日和山です。現在、住吉神社(建替)や方角石が残されています。天保2(1831)年、江戸の絵師長谷川雪旦の手による「北国一覧写」にも描かれ、当時の新潟町では特筆すべき名所のひとつであったことがうかがわれます。明治13(1880)年8月に大火があり櫓が焼失したため翌年300メートル程、海寄りの丘に櫓を立てて新たな日和山とました。

関連サイト

都道府県

  • 新潟県

市町村

  • 新潟市

類型

  • 寄港地

種別

  • 構成文化財
  • 建物
  • 日和山
  • 石造物(灯籠、玉垣など)

サイズ
構造等

標高12.3m

所在地

新潟県新潟市中央区東堀通13番町

参考資料

『大新潟湊展』
(新潟市歴史博物館、2014年)

関連情報

常時公開 「みなとまち 新潟 日和山 五合目から」に関連展示あり

他地域
との
つながり

【日和山が構成文化財の自治体】
北海道小樽市、青森県深浦町、秋田県能代市、山形県酒田市、兵庫県たつの市、島根県浜田市

 構成文化財 旧齋藤家別邸(旧齋藤氏別邸庭園)

クリックで拡大

説明

北前船等で財をなした新潟町の豪商齋藤家の四代目喜十郎が大正7(1918)年に建てた別荘(本宅は現在一部を燕喜館として移築・公開)。海岸部の砂丘地形を巧みに利用して造成された池泉回遊式の庭園は、新潟市郊外の平地にありながら深山幽谷の趣を醸し出しています。戦後、加賀田家の所有になったのち平成21(2009)年に新潟市が公有化。調査・基礎的整備を経て平成24(2012)年一般公開しています。平成27(2015)年3月、国指定文化財(名勝)。

関連サイト

都道府県

  • 新潟県

市町村

  • 新潟市

類型

  • 寄港地

種別

  • 庭園
  • 構成文化財
  • 建物

サイズ
構造等

敷地約4,400㎡
建造物(主屋)は木造2階建て 571.51㎡(保存対象建造物)

所在地

新潟県新潟市中央区西大畑町576番2他

年代

  • 1918年 建築
  • 大正以後

建物:大正7年建築 庭園:大正6年〜9年造園)

指定

国指定名勝(2015年)

参考資料

『旧齋藤家別邸基本調査報告書』(新潟市、2010年)、『旧齋藤家別邸庭園調査報告書』(新潟市、2012年)、横木剛「大正期地方実業家の経営と政治行動-新潟市齋藤喜十郎家の大正期について-」『新潟史学』(79、2019年)

関連情報

開館時間:(4月~9月)9:30~18:00 (10月~3月)9:30~17:00
休館日:毎週月曜日(休日の場合は翌日) 休日の翌日(土・日の場合は火曜日) 12/28~1/3
観覧料:(一般)大人300円・小中学生100円 (団体)大人240円・小中学生80円

他地域
との
つながり

福井県坂井市(齋藤家の出身地)

 構成文化財 燕喜館(旧齋藤家住宅)主屋

クリックで拡大

説明

北前船等で財をなした新潟町の代表的な商家・齋藤家が、明治41(1908)年の大火の後、焼失した旧宅に代えて新築した邸宅です。商家部分の主屋棟と接客部分の座敷棟に分かれていました。平成9(1997)年に座敷棟が白山公園内に移築。杉の四方柾、紫檀・黒檀を多用し、欄間や床の間を数寄屋風とする等、贅を凝らした造りです。館名は、接客のための部屋を「宴を催し、楽しみ喜ぶ」という意味で「燕喜館」と称したことからきています。平成12(2000)年4月に国登録文化財となりました。

関連サイト

都道府県

  • 新潟県

市町村

  • 新潟市

類型

  • 寄港地

種別

  • 構成文化財
  • 建物

サイズ
構造等

木造平屋建て・寄棟・桟瓦葺
創建時約776㎡、現存約241㎡

所在地

新潟県新潟市中央区一番堀通町1-2
白山公園内

年代

  • 1908年 建築
  • 明治時代

明治41年建築

指定

国登録有形文化財(2000年)

参考資料

新潟市歴史双書6『新潟市の文化財』(新潟市、2002年)、新潟市歴史博物館編『新潟市の文化財』(2019)、横木剛『新潟の廻船問屋』(アミックス、2021年)

関連情報

開館時間:9:00~17:00
休館日:毎月第1・3月曜日
(休日の場合は翌日)・12/29~1/3
観覧料:見学は無料

他地域
との
つながり

福井県坂井市(齋藤家の出身地)

 構成文化財 旧小澤家住宅

クリックで拡大

説明

廻船業・廻船問屋業等に携わった商家・小澤家の店舗兼住宅。道具蔵は安政4(1857)年銘の鍵が見つかっており幕末期、主屋は明治13(1880)年の大火直後の建築と推測され、旧新潟町域では現存最古の町家の一つで、典型例でもあります。明治時代中期から末にかけて新座敷・離れ座敷等の増築や庭園造りが進みました。新座敷は技巧を凝らした造りに燕喜館との類似性が認められます。庭園は石組み等に伝統的手法が見られる一方、芝を張るモダンな要素も取り入れられています。これら建物と庭園が一体となり、明治時代の豪商の屋敷構えを構成しています。平成18(2006)年8月に新潟市文化財指定されました。

関連サイト

都道府県

  • 新潟県

市町村

  • 新潟市

類型

  • 寄港地

種別

  • 構成文化財
  • 建物

サイズ
構造等

木造2階建て、一部3階建て 
敷地面積約1600㎡、延床面積約860㎡

所在地

新潟県新潟市中央区上大川前通12-2733

年代

  • 1857年 建築-1880年 建築
  • 江戸時代
  • 明治時代

道具蔵:安政4年建築と推測 主屋:明治13年建築と推測

指定

新潟市指定文化財(2006年)

参考資料

「Ⅴ 旧小澤家住宅概要調査報告」『新潟市歴史文化施設概要調査報告書』(新潟市、2003年)、新潟市歴史博物館編『新潟市の文化財』(2019年)、川村晃正「明治初年新潟小澤家の北前船ビジネスの一齣」『専修大学社会科学研究所月報』(667・668、2019年)、安宅俊介「明治初期、初代小澤七三郎の廻船「幸運丸」経営」『新潟県博物館協議会研究紀要』(第7号、2020年2月)

関連情報

開館時間:9:30~17:00
休館日:毎週月曜日(休日の場合は翌日) 休日の翌日(土・日の場合は火曜日) 12/28~1/3など
入館料:(個人)一般200円・小中学生100円 (団体=20人以上)一般160円・小中学生80円 土日祝日は小中学生無料

他地域
との
つながり

石川県加賀市(小澤家祖先の出身地)

 構成文化財 日本舞踊市山流(古町芸妓)

クリックで拡大

説明

北前船の隆盛で全国屈指の花街となった新潟・古町を支える芸妓の芸の基礎です。江戸時代中期に市山七十郎が大坂で創始。幕末、三代目七十郎が新潟を訪れ、後の四代目に舞踏を指南しました。四代目以降は新潟が本拠地となり、以後女性舞踏家が流派を継承しています。地方に宗家があり、その地で140年以上続いているのは市山流のみです。舞踏は上方風で古格を伝えているとされ、芸術性が高いと評価されています。平成15(2003)年7月、新潟市文化財指定(市指定無形文化財第1号)となりました。

関連サイト

都道府県

  • 新潟県

市町村

  • 新潟市

類型

  • 寄港地

種別

  • 構成文化財
  • その他

所在地

新潟県新潟市中央区古町通9番町
(現保持者:市山七十郎)

指定

新潟市指定文化財(2003年)

参考資料

『新潟市文化財調査報告 日本舞踊市山流』(新潟市教育委員会、2003年)、『新潟美人展』(新潟市歴史博物館、2011年)、藤村誠『新潟の花街』(新潟日報事業社、2011年)

関連情報

毎年9月中旬の日曜日開催 
「ふるまち新潟をどり」など

他地域
との
つながり

大阪府大阪市(創始者の出身地)

 構成文化財 湊稲荷神社願懸け高麗犬

クリックで拡大

説明

湊稲荷神社の高麗(こま)犬。神社は信濃川左岸のかつての船つなぎ場近くにあり、水商売や海運業、漁業従事者に多く信仰され、別名道楽稲荷。享保元(1716)年創立と伝わります。像には嘉永7(1854)年奉納の銘があります。回転軸により像を手で回せるようになっており、船乗りたちが西向きの風で出帆できないよう遊女たちが高麗犬を西向きにして願をかけたとされます。先代の高麗犬は願いをかなえさせることができなかったため神社の前を流れる艀下(はしけ)川に落とされたともいわれます。昭和55(1980)年11月に新潟市文化財指定されました。

関連サイト

都道府県

  • 新潟県

市町村

  • 新潟市

類型

  • 寄港地

種別

  • 構成文化財
  • 狛犬
  • 石造物(灯籠、玉垣など)

サイズ
構造等

高さ57㎝(2つとも)
花崗岩製

所在地

新潟県新潟市中央区稲荷町3482

年代

  • 1854年 奉納
  • 江戸時代

嘉永7年奉納

指定

新潟市指定文化財(1980年)

参考資料

「湊稲荷神社 願懸け高麗犬について」『昭和54年度 新潟市文化財調査資料』(新潟市教育委員会、1980年)、『新潟市の文化財』(新潟市歴史双書6、新潟市、2002年)

関連情報

公開
指定文化財の高麗犬は拝殿前に移設
参道に立つものは1995年に新造

他地域
との
つながり

【逆風祈願関連の地蔵】
石川県志賀町(腰巻地蔵)
宮城県塩釜市(しばり地蔵)
島根県隠岐郡島町(草履かけ地蔵)

 構成文化財 新潟まつり(湊祭・住吉祭)

クリックで拡大

説明

江戸時代、航海の安全を祈り、海の神である住吉神を祀るため始まったとされる祭です。当初は湊祭と呼ばれ、七夕の時期だったことから七夕まつりともいわれました。神輿を車輪付きの「御座船」に乗せて曳くのが特徴です。新潟町の各町内で組を作り、纏や傘鉾、踊り屋台等の出し物が巡行しました。夜には灯篭や提灯が出され、火影が佐渡からも見えるほどだったといいます。時々の為政者により規模制限や禁止令が出され、時代とともに川開きや商工祭等他のまつりと習合して名称や形を変えながらも、現在の新潟まつりにつながっています。

関連サイト

都道府県

  • 新潟県

市町村

  • 新潟市

類型

  • 寄港地

種別

  • 構成文化財
  • 祭礼

参考資料

『湊祭復元事業 新潟まつりの歴史をさぐる』(みなと新潟実行委員会、2016年)

関連情報

毎年8月上旬の金・土・日曜日開催
「民謡流し」「住吉行列」「水上みこし渡御」「市民みこし」「花火大会」など

他地域
との
つながり

大阪府大阪市(住吉大社)

 構成文化財 新潟奉行川村修就関係資料

クリックで拡大

説明

天保14(1843)年に幕府領となった新潟町に関して、初代新潟奉行川村修就が収集・記録した資料群。「蜑の手振り」は幕末期の新潟町における、北前船を始めとした諸国廻船・地廻り船の船囲を始めとした水辺の人びとの営みや、湊祭や盆躍り等の様子について、動きのある画と、詳細な詞書で記録しています。また、新潟町が幕府領として上知されるきっかけとなった「抜荷」(密貿易)についての調査報告書の控えや、海岸防備に関する文書、甲冑等をはじめとした川村の遺品等も含まれています。平成25(2013)年3月、新潟県文化財指定されました。

関連サイト

都道府県

  • 新潟県

市町村

  • 新潟市

類型

  • 寄港地

種別

  • 構成文化財
  • 文書
  • 絵図
  • その他

サイズ
構造等

1859点(文書1598点、遺品等48点等)

所在地

新潟県新潟市中央区柳島町2-10 
新潟市歴史博物館

年代

  • 1843年以後
  • 江戸時代

天保14年幕領となる

指定

新潟県指定文化財(2013年)

参考資料

『新潟市の文化財』(新潟市歴史双書6、新潟市、2002年)、『川村修就とゆらぐ幕府支配』(新潟市歴史博物館、2005年)、安宅俊介「近世新潟町の船囲」『新潟市歴史博物館研究紀要』(第10号、2014年3月)、中野三義『新潟奉行川村修就の治政の総合的研究』(松美台書房、2016年)

関連情報

新潟市歴史博物館みなとぴあで一部公開中

他地域
との
つながり

【川村奉行転出先】
大阪府堺市、大阪府大阪市、長崎県長崎市

 構成文化財 大船絵馬

クリックで拡大

説明

市島家が水原町(現阿賀野市)に設けた分家の三代目の治郎吉が、白山神社に奉納した絵馬です。画面寸法は縦1.54m、横3.24mと大型です。嘉永5(1852)年、新潟の画人井上文昌が描きました。市島家はこのころ廻船40隻を持ち、家運の絶頂期を迎えていたといわれます。絵馬には、同家が取り扱う「御城米」(幕府領の年貢米)を新潟湊から積み出し、江戸・大坂で積み下ろす光景が極彩色で描かれ、現在も白山神社拝殿に掛けられています。昭和44(1969)年3月に新潟県文化財指定されました。

関連サイト

都道府県

  • 新潟県

市町村

  • 新潟市

類型

  • 寄港地

種別

  • 構成文化財
  • 船絵馬

サイズ
構造等

画面寸法 縦154㎝、横324㎝

所在地

新潟県新潟市中央区一番堀通町1-1
白山神社

年代

  • 1852年 奉納
  • 江戸時代

指定

新潟県指定文化財(1969年)

参考資料

『新潟市の文化財』(新潟市歴史双書6、新潟市、2002年)、伊東祐之「越後廻米輸送における地元請負の展開」『新潟市歴史博物館研究紀要』(2、2006年)

関連情報

公開(拝殿内に設置) レプリカを新潟市歴史博物館みなとぴあ常設展で展示

他地域
との
つながり

【御城米の搬出先】
東京都、大阪府

先頭
1 / 2