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 構成文化財 日和山

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説明

北前船の船乗りたちが、出航前に日和を見た場所です。日和山は、福浦港日本海側に突き出しており、海を一望でき、旧福浦灯台、金刀比羅(こんぴら)神社、方角石(石造方位盤(せきぞうほういばん))があります。
当時、船乗りたちは日和山に立ち風の向きや潮の流れを確認しました。

関連サイト

都道府県

  • 石川県

市町村

  • 志賀町

類型

  • 寄港地

種別

  • 構成文化財
  • 日和山

所在地

志賀町福浦港

参考資料

『富来町史』『福浦ものがたり』

関連情報

公開

 構成文化財 方角石(石造方位盤)

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説明

北前船の船乗りたちが出航前に日和山で風向きや潮の流れを確認した方角石です。石造方位盤(方角石は風の方角を知るためのもので、重要な役割を果しました。福浦港にある石造方位盤は寄進されたもので、直径33cmの御影石で円形磁板が掘り出され、十二支が陰刻されています。台板側面には横書きで銘が陰刻されています。

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都道府県

  • 石川県

市町村

  • 志賀町

類型

  • 寄港地

種別

  • 構成文化財
  • 石造物(灯籠、玉垣など)

サイズ
構造等

縦・横53cm 厚さ13cm

所在地

志賀町福浦港

指定

志賀町町指定文化財
(建造物、1974年1月29日)

参考資料

『富来町史』『志賀町の文化財』『福浦ものがたり』

関連情報

公開

 構成文化財 北前船関連資料群

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説明

「佐渡屋客船帳」「腰巻地蔵」「四爪錨」「極楽坂」「金刀比羅神社拝殿向拝の龍飾彫刻」などの北前船関連資料が含まれます。野口雨情(うじょう)は「能登の福浦のこしまき地蔵は今朝も出船をまたとめた」と詠んでいます。四爪錨(よつづめいかり)は、北前船時代のイカリであり、17世紀頃から普及したとみられ、複数の鋼板を重ねて鍛造し製作されたものです。この四爪錨は福浦港近海で引き揚げられたもので、全長は259cm。その形状から国内最古(18世紀代)と考えられています。極楽坂は、北前船乗組員の遺骨や身元不明の遊女などの漂着死体300体以上の霊が眠っている無縁墓地です。墓石が建っているものも存在し、北前船で運ばれた越前石(笏谷石)も確認できます。現在は、整備され、旧火葬場より「六字名号」の碑を移転し、六地蔵も安置され、年に1度、区で草刈りをし、供養を行っています。
金刀比羅神社拝殿向拝(こうはい)の龍飾(りゅうしょく)彫刻は、大坂綿屋吉松(妙力丸)の寄進された物であり、同木鼻は、能登一宮西村屋手船「政徳丸」船頭忠五郎が寄進し、狛犬も西村屋「慶壽丸」から寄進されたものです。

関連サイト

都道府県

  • 石川県

市町村

  • 志賀町

類型

  • 寄港地

種別

  • 構成文化財
  • その他

サイズ
構造等

四爪錨:259cm

所在地

志賀町福浦港
石川県立歴史博物館(佐渡屋客船帳)

参考資料

『富来町史』『福浦ものがたり』
「四爪鉄錨の基礎的研究」

関連情報

公開

 構成文化財 奉納船絵馬群

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説明

北前船の船主らが航海の安全を祈願し、奉納した船絵馬です。福浦港の湾近くに猿田彦神社、日和山には金刀比羅神社の2社があり、そこには拝殿の壁に所狭しと奉納絵馬が寄進されています。普段は非公開とされておりますが、猿田彦神社には31点、天保元(1830)年から明治24(1909)年に至る間の絵馬が奉納されており、金刀比羅神社には29点、安政6(1859)年から明治中頃までの絵馬が奉納されています。珍しいものとしては難破している様子を描いた奉納額やイカ・タコ・カニ・エビを描いた奉納額もあり、北前船文化を伝える貴重な資料です。金刀比羅神社には、燈籠や拝殿向拝の龍飾彫刻や同木鼻も北前船主から寄進されたものです。両神社の奉納絵馬は昭和53(1978)年に町指定文化財として指定されています。

関連サイト

都道府県

  • 石川県

市町村

  • 志賀町

類型

  • 寄港地

種別

  • 構成文化財
  • 奉納物
  • 船絵馬

サイズ
構造等

27cm×37cm~118cm×192cm

所在地

志賀町福浦港

指定

志賀町指定文化財
(絵画、1978年)

参考資料

『富来町史』『志賀町の文化財』『福浦ものがたり』

関連情報

公開

 構成文化財 めぐり(繋船孔)

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説明

北前船が係留するときに船のもやいを繋いだ岩です(岩をくり抜いたもの)。福浦港の湾の周りに(大澗・水の澗)は岩場や岩礁の突出した部分を刳り貫いて孔を開け、その孔に綱を通して船を繋いだ施設があり「めぐり」と呼ばれています。現在の繋船柱、繋船ブイやビットの役割を果たすものです。北前船往来の隆盛時から「めぐり銭」と称して停泊料を徴収し維持管理に充てていたようで、他に例がない特殊な施設です。現在でも数十点確認することができます。

関連サイト

都道府県

  • 石川県

市町村

  • 志賀町

類型

  • 寄港地

種別

  • 構成文化財
  • その他

所在地

志賀町福浦港

指定

志賀町指定文化財
(有形民俗、1974年1月29日)

参考資料

『富来町史』『志賀町の文化財』『福浦ものがたり』

関連情報

公開

 構成文化財 福浦祭り

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説明

北前船の航海安全を祈った猿田彦神社の祭りです。海上渡御及び仮装・手踊りは北前船で賑わった当時の名残りを強く残しています。宵祭り、本祭り、裏祭りの3日間あり、宵祭りでは本祭りの海上渡御を行う船を決める「神籤の儀」が行われ「毎年大例祭神船簿」によると23か国の船が神船として記録されています。また、裏祭りには、芸妓たちが三味線・太鼓・囃子に合わせて猿田彦神社に参拝し、境内で手踊りを披露した名残りが、現在の仮装行列となっています。

関連サイト

都道府県

  • 石川県

市町村

  • 志賀町

類型

  • 寄港地

種別

  • 構成文化財
  • 祭礼

所在地

石川県羽咋郡志賀町

指定

志賀町指定無形民俗文化財
(2002年)

倉敷市

倉敷市には瀬戸内海を望む児島半島の先端に,岡山藩の外港として栄えた下津井,大規模な干拓によって綿花栽培と積み出しで栄えた玉島の両港があります。これらの地域では綿の栽培が盛んに行われ,そのため北前船が運ぶ肥料となるニシン粕が必要でした。玉島は,綿とニシン粕の取引地として,また下津井では帰り荷として綿のほかに児島の塩が喜ばれたそうです。

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概要

倉敷市には瀬戸内海を望む児島半島の先端に,岡山藩の外港として栄えた下津井,大規模な干拓によって綿花栽培と積み出しで栄えた玉島の両港があります。これらの地域では綿の栽培が盛んに行われ,そのため北前船が運ぶ肥料となるニシン粕が必要でした。玉島は,綿とニシン粕の取引地として,また下津井では帰り荷として綿のほかに児島の塩が喜ばれたそうです。

都道府県

  • 岡山県

市町村

  • 倉敷市

類型

  • 寄港地

類型

  • 寄港地

年代

  • 年代不明

関連
文化財

関連
サイト

 構成文化財 下津井町並み保存地区

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説明

下津井は瀬戸内海に面した奈良・平安時代の記録にも出てくる非常に古い港町です。下津井が本格的な港町として栄えたのは江戸時代中期以降からで、北前船による綿花、ニシン粕の取引港として、また讃岐金毘羅参りの宿場としても賑わいました。今でも当時の商家やニシン蔵などが残され、歴史的な景観をとどめています。

関連サイト

都道府県

  • 岡山県

市町村

  • 倉敷市

類型

  • 寄港地

種別

  • 構成文化財
  • まちなみ

所在地

岡山県倉敷市下津井

指定

岡山県指定まちなみ保存地区
(1986年)

参考資料

『倉敷市下津井地区歴史的景観調査報告書』(1985年)

 構成文化財 旧萩野家母屋・鰊蔵(むかし下津井回船問屋)

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説明

明治時代の回船問屋の建物を改装した資料館です。母屋など当時の商家の様子をうかがえるほか、北前船に関する資料を展示しており、往時の下津井港の繁栄ぶりを知ることができます。また、ニシン粕を保存していた蔵は現在食事処となっており、地元の魚介類を使った料理を楽しむことができます。

関連サイト

都道府県

  • 岡山県

市町村

  • 倉敷市

類型

  • 寄港地

種別

  • 構成文化財
  • 建物

サイズ
構造等

木造2階建て

所在地

岡山県倉敷市下津井1-7-23

参考資料

『倉敷市下津井地区歴史的景観調査報告書』(1985年)、『児島風土記』(1982年)

関連情報

開館時間:9:00~17:00(入館締切16:30)
休館日:毎週火曜日・年末年始
入館料:無料

 構成文化財 下津井節

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説明

港町下津井に伝わる岡山県を代表する民謡です。北前船の船頭達によって広まり、唄い継がれてきました。歌詞の中で下津井港は、順風でも逆風でも入りやすい良い港だと唄っています。

関連サイト

都道府県

  • 岡山県

市町村

  • 倉敷市

類型

  • 寄港地

種別

  • 構成文化財
  • 民謡

所在地

岡山県倉敷市下津井

参考資料

『児島風土記』(1982年)

関連情報

下津井節全国大会
毎年9月最後の土・日曜日