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 構成文化財 古潭神社御神輿

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説明

北前船(久吉(ひさよし)丸(まる))の船主が奉納した御神輿です。明治13(1880)年に、押琴湾(おしことわん)に大嵐の波風が押し寄せ、停泊していた北前船の多くが被害にありました。この時に何の損害も受けずにすんだ久吉丸の船主が「神仏の加護である」と喜び、翌年大阪から神輿を積んできて奉納しました。

関連サイト

都道府県

  • 北海道

市町村

  • 石狩市

類型

  • 寄港地

種別

  • 構成文化財
  • 奉納物

所在地

北海道石狩市厚田区古潭50-3

年代

  • 1880年 奉納
  • 明治時代

明治13年奉納

参考資料

石狩市企画経済部商工労働観光課『石狩を繁栄させた鮭漁・鰊漁と宝船』

関連情報

通常非公開

他地域
との
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大阪府大阪市
(大坂から神輿を運んだ)

 構成文化財 厚田神社船絵馬

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説明

北前船の船主らが奉納した船絵馬です。明治中期に奉納された厚田神社の船絵馬は、北前船と鰊漁で繁栄した厚田の様子を今日に伝える貴重な資料となっています。

関連サイト

都道府県

  • 北海道

市町村

  • 石狩市

類型

  • 寄港地

種別

  • 構成文化財
  • 船絵馬

所在地

北海道石狩市厚田区厚田1-14
厚田神社

参考資料

石狩市企画経済部商工労働観光課「石狩を繁栄させた鮭漁・鰊漁と宝船」、石狩市(厚田地域着地型観光まちづくり協議会)「意外にいいね!北石狩ドライブマップ」

関連情報

通常非公開 
例祭日 祝日「海の日」前日に公開

 構成文化財 石狩八幡神社鳥居

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説明

北前船で運ばれた御影石の鳥居です。この鳥居は元々石狩弁天社のものでしたが、明治7(1874)年に弁天社地内に石狩八幡神社が移った際、開拓史の命により石狩弁天社が現在の所在地に移され、鳥居だけが残されたものです。石狩弁天社には村山家をはじめとする石狩場所にかかわる商人、役人から寄進された歴史的遺物が残されており、その一つが、瀬戸内兵庫県産の白御影石製の石鳥居です。石柱には、「奉海上文化十年願主等場所請負人中同秋味建船中」と刻まれています。北前船による瀬戸内とのつながりを今日に伝える遺構といえます。

関連サイト

都道府県

  • 北海道

市町村

  • 石狩市

類型

  • 寄港地

種別

  • 構成文化財
  • 鳥居

所在地

北海道石狩市弁天町1
石狩八幡神社

年代

  • 1874年 移転

参考資料

いしかりガイドボランティアの会「石狩市本町地区歴史ガイドマップ」、石狩市教育委員会「ようこそ石狩発祥の地へ あんない絵図」、石狩市企画経済部商工労働観光課「石狩を繁栄させた鮭漁・鰊漁と宝船」

関連情報

公開

他地域
との
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兵庫県(白御影石の産地)

 構成文化財 石狩弁天社狛犬

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説明

北前船の航海安全を祈願して奉納された笏谷石の1対の狛犬です。現在の石狩弁天社の拝殿正面に福井県産の笏谷石で作られた、一対の狛犬があります。大きさは22センチ、胴体にはわずかに金彩、目は銀彩、口には朱が施されています。胴体から前足にかけて「荘内酒田柏屋九衛門船上乃り九兵工天党船」及び「酒田秋田」と墨で書き込まれています。北前船で奥州と蝦夷地を結び、石狩場所に係わった船乗りが、航海の安全を祈願して奉納したものであり、江戸時代後期の寄港地のつながりを今日に伝える貴重な文化財です。

関連サイト

都道府県

  • 北海道

市町村

  • 石狩市

類型

  • 寄港地

種別

  • 構成文化財
  • 奉納物
  • 狛犬

サイズ
構造等

高さ22cm

所在地

石狩市弁天町22-8

参考資料

いしかりボランティアガイドの会「石狩市本町地区歴史ガイドマップ」、石狩市企画経済部商工労働観光課「石狩を繁栄させた鮭漁・鰊漁と宝船」、石狩市教育委員会/石狩郷土研究会「石狩弁天社」

関連情報

通常非公開

他地域
との
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山形県酒田市(奉納者の出身地)
秋田県秋田市(奉納者の出身地)

 構成文化財 高田屋屋敷跡

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説明

高田屋嘉兵衛のあとを継いだ金兵衛(嘉兵衛の弟)が幕府の許可を得てこの地域5万坪を拝借し、その一角に豪壮な邸宅を建てました。その規模は敷地面積で2町(約220m)四方もありました。金兵衛は、港に続く堀割りを作り排水し屋敷地とし、池や築山のある屋敷を構えました。

関連サイト

都道府県

  • 北海道

市町村

  • 函館市

類型

  • 寄港地

種別

  • 構成文化財
  • 建物

所在地

北海道函館市宝来町24-24

年代

  • 1800年 建築
  • 江戸時代

1800年代初頭

参考資料

松浦武四郎「蝦夷日誌(抄」(『函館市史 史料編第一巻』函館市 1974年)、富原章『箱館から函館へ』(函館文化会、1998年)

関連情報

公開

他地域
との
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兵庫県洲本市
(高田屋嘉兵衛の出身地)
兵庫県神戸市
(高田屋嘉兵衛の本店所在地)

 構成文化財 高田屋本店跡

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説明

北前船で財をなした高田屋が商売の拠点を置いた店舗跡です。寛政10(1798)年、高田屋嘉兵衛は大町に本店を構え、弟の金兵衛を支配人としました。嘉兵衛は幕府との結びつきを強め、蝦夷地御用船定雇船頭なども務め高田屋を発展させていきました。船乗りにとって目印になったり、日和山の役割もあったのかもしれません。

関連サイト

都道府県

  • 北海道

市町村

  • 函館市

類型

  • 寄港地

種別

  • 構成文化財
  • 建物

所在地

北海道函館市大町9-7

年代

  • 1798年 建築
  • 江戸時代

寛政10年

参考資料

生田美智子『高田屋嘉兵衛』ミネルヴァ書房、2012年)、須藤隆仙・好川之範編『高田屋嘉兵衛のすべて』(新人物往来社、2008年)、『豪商高田屋嘉兵衛』(高田屋嘉兵衛展実行委員会、2000年)

関連情報

公開

他地域
との
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兵庫県洲本市
(高田屋嘉兵衛の出身地)
兵庫県神戸市
(高田屋嘉兵衛の本店所在地)

 構成文化財 厳島神社

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説明

北前船主たちが寄進した奉納物がある神社です。もとは弁天崎という湾口にありましたが、安政年間に弁天岬台場の築造にともない、現在地に移築されました。鳥居は橋立(石川県加賀市)の船主たちが寄進したものです。

関連サイト

都道府県

  • 北海道

市町村

  • 函館市

類型

  • 寄港地

種別

  • 構成文化財
  • 建物
  • 鳥居

サイズ
構造等

木造平屋建て

所在地

北海道函館市弁天町9-9

年代

  • 1854年 建築
  • 江戸時代

安政4年

関連情報

公開

他地域
との
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石川県加賀市(鳥居を奉納した船乗りたちの出身地)

松前町

春、海の色を変えるほどニシンの大群が押し寄せた松前。17世紀、松前に出店を開いた近江商人は、松前のニシン、昆布、干しあわびなどの産物を京都、大阪などの市場で売りさばき、代わりに呉服物、米、味噌などを松前に運んで商いをしました。物資だけでなく運んだのは京都の文化も。寺院の庭園樹、桜、椿などの多くはこの頃、松前に運ばれたと言われています。

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概要

春、海の色を変えるほどニシンの大群が押し寄せた松前。17世紀、松前に出店を開いた近江商人は、松前のニシン、昆布、干しあわびなどの産物を京都、大阪などの市場で売りさばき、代わりに呉服物、米、味噌などを松前に運んで商いをしました。物資だけでなく運んだのは京都の文化も。寺院の庭園樹、桜、椿などの多くはこの頃、松前に運ばれたと言われています。

都道府県

  • 北海道

市町村

  • 松前町

類型

  • 寄港地

類型

  • 寄港地

年代

  • 年代不明

関連
文化財

関連
サイト

 構成文化財 福山波止場

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説明

江戸時代から松前城下の前浜の岩礁には、船舶の係留杭が設置されていました。明治6(1873)年に栖原小右衛門が自費で港内の崩落箇所修理と、長さ14間、高さ一丈(約3m)の石垣を築きました。その後、豪商有志が波止場建築のため寄付金を集め、不足分を明治政府から借入れ、石工井上喜三郎に委託して明治8年に福山波止場が完成しました。波止場は二基あり、大松前波止場は65間(約118m)・高さ一丈、小松前波止場は85間(約154m)・高さ一丈で、明治23(1890)年の小破修理を経て現在に至っています。

関連サイト

都道府県

  • 北海道

市町村

  • 松前町

類型

  • 寄港地

種別

  • 構成文化財

サイズ
構造等

大松前波止場
 65間(約118m) 高さ1丈(約3m)
小松前波止場
 85間(約154m )高さ1丈(約3m)

所在地

北海道松前郡松前町字松城先

年代

  • 1875年 竣工
  • 江戸時代
  • 明治時代

明治8年

指定

土木学会選奨土木遺産(2014年)

参考資料

『日本最北の城下町 松前の文化財』(松前町教育委員会、2011年)

関連情報

公開

 構成文化財 沖口役所

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説明

沖口役所は、松前三湊(松前・江差・箱館)に置かれた役所で、税関と入国管理局を兼ねた機能を持つ旅人の身柄確認や船舶・積荷の取り締まりが主な任務でした。不審な者・引受人のいない者、刺青や刀傷のある者などは、松前への入国が許されませんでした。また、出入りの船舶・積荷には沖口役所で役金が掛けられ、文化4(1807)年には藩収入の3分の1弱にあたる11,658両に達しました。

関連サイト

都道府県

  • 北海道

市町村

  • 松前町

類型

  • 寄港地

種別

  • 構成文化財

所在地

北海道松前郡松前町
字松城14、15-1、15-2番地

参考資料

『日本最北の城下町 松前の文化財』
(松前町教育委員会、2011年)

他地域
との
つながり

北海道函館市
(沖口役所が設置された松前三湊)
北海道江差町
(沖口役所が設置された松前三湊)