構成文化財 三国浦絵図
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北前船によって繁栄した三国湊の様子がわかる絵図です。三国浦絵図は、安永7(1778)年から寛政3(1791)年にかけて描かれたと考えられる絵図で、川口御番所などの湊関係の役所、施設に加え、代官屋鋪、寺社、芝居小屋なども描かれています。
都道府県
- 福井県
市町村
- 坂井市
類型
- 寄港地
種別
- 構成文化財
- 絵図
年代
- 1778年 製作-1791年頃 製作
安永7年から安政3年頃にかけて描かれた
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北前船によって繁栄した三国湊の様子がわかる絵図です。三国浦絵図は、安永7(1778)年から寛政3(1791)年にかけて描かれたと考えられる絵図で、川口御番所などの湊関係の役所、施設に加え、代官屋鋪、寺社、芝居小屋なども描かれています。
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類型
種別
年代
安永7年から安政3年頃にかけて描かれた
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越前三国湊風景之図は、慶応元(1865)年に描かれたもので、護岸の河戸に町人の蔵が連なる様子や笏谷石の使用がわかります。大型の船が描かれているため、誇張されている部分もありますが、それだけ三国湊が繁栄したことが表現されているといえます。
都道府県
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類型
種別
年代
慶応元年
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三国湊の工芸品で、北前船により船主集落の加賀橋立などに運ばれました。三国仏壇・三国箪笥ともに、北前船により三国湊で発展した三国彫りと塗りが融合された工芸品です。三国仏壇は、ヒノキやクサマキ(ヒバ)が多く使われ、釘を使わずに組み立てます。三国箪笥は船箪笥などがあり、船箪笥は佐渡、酒田と並び、有名です。北前船により三国湊で発展した指物・塗師・金具師などの職人らが作りました。
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類型
種別
他地域
との
つながり
石川県加賀市(北前船主・酒谷長平家の三国仏壇)
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石材を扱っていた廻船問屋に伝わる、北前船で流通した笏谷石に関する古文書群です(廻船問屋、石屋文右衛門家、布目屋三左衛門家)。江戸期から昭和戦前期までの文書などが残り、笏谷石の流通がわかります。
都道府県
市町村
類型
種別
指定
未指定
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北前船交易により繁栄した三国湊の有力な北前船船主でもあった町衆が、山車人形や舟神輿などを奉納した祭りです。天保15(1844)年の「氏神御祭礼覚」によれば、人形芝居の人形を敦賀から積んできた丹後の船員と芝居人が一緒に屋台を仮仕立て、そこに人形を飾り、その翌年から大きな人形を持ち出し、現在のように町内ごとに山車人形を出すようになったとされます。
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類型
種別
年代
指定
福井県指定県無形民俗文化財
一部、坂井市指定有形文化財(工芸品)
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北前船の船乗りたちによって、南部方面(岩手県)から運ばれてきた歌です。曲名の「なんぼや」は「南部」が元と推測されています。歌詞には、蝦夷松前からの廻船を待つ妻の心や、出漁の帰帆を待つ乙女の情などが謳われています。
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類型
種別
指定
福井県指定無形民俗文化財
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北前船の船頭や水夫による祝い唄です。毎年正月に、船主の家で催された船祝い(「起船祝い」とも)の席上での祝い唄でしたが、漁民の間の衆議唄としても唄われるようになり、三国湊の繁栄ととも唄い継がれました。能登地方に伝わる「まだら節」に共通しています。
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指定
坂井市指定無形民俗文化財
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北前船の船頭の船唄として発祥したとも言われる三国の座敷歌です。その起源については、宝暦年間に地ならし唄として歌われたという説と、三国湊の船頭の船唄として発祥したという説があります。七七七五調を基本とし、かつての北前船の寄港地や三国の地名、三国湊に関係深い語句が散りばめられています。
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類型
種別
指定
坂井市指定無形民俗文化財
日本海側のほぼ中央に位置する若狭小浜は天然の良港で、御食国と呼ばれ、古来より皇室・朝廷に海水産物を中心とした御食料を納めていました。その道はいつしか「鯖街道」と呼ばれるようになり、海と都をつなぐ最大の物流量を誇っていました。古くから日本を代表する船持商人がいた小浜ですが、北前船の時代もその歴史を引き継ぎます。古河屋嘉太夫は丹波茶を新潟、秋田方面に売り、帰りに積んだ米や海産物を瀬戸内、大阪で販売して豪商にのし上がりました。男山区の八幡神社には嘉太夫が寄進した銅製の灯籠が今もあります。
概要
日本海側のほぼ中央に位置する若狭小浜は天然の良港で、御食国と呼ばれ、古来より皇室・朝廷に海水産物を中心とした御食料を納めていました。その道はいつしか「鯖街道」と呼ばれるようになり、海と都をつなぐ最大の物流量を誇っていました。古くから日本を代表する船持商人がいた小浜ですが、北前船の時代もその歴史を引き継ぎます。古河屋嘉太夫は丹波茶を新潟、秋田方面に売り、帰りに積んだ米や海産物を瀬戸内、大阪で販売して豪商にのし上がりました。男山区の八幡神社には嘉太夫が寄進した銅製の灯籠が今もあります。
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類型
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文化財
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北前船で財を成した廻船問屋の古河屋の別邸です。文化12(1815)年建築。古河屋は、廻船問屋だけでなく、酒や醤油の醸造、金融業を兼業し、藩の御用達をつとめた豪商です。小浜藩主・酒井家も愛した庭は、藩主を迎えるにふさわしい格式ある庭園です。庭を広く見せるために柱が免除されているなど、建物にも高度な建築技術が使われています。
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種別
サイズ
構造等
数寄屋風書院造
所在地
小浜市北塩屋17−4−1
年代
文化12年築造
指定
福井県指定文化財(1998年)
参考資料
『わかさ小浜の文化財ー図録ー』(小浜市、1995年)、『海商古河屋 北前船の航跡』(若狭学術振興会、1971年)
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