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 構成文化財 為世永神社船絵馬

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説明

為世永神社には、江戸時代の天保期から明治期にかけて奉納された5点の船絵馬が奉納されています。現在は、彩色保護のため、諸寄地区内の八坂神社社務所祈願所に掲げられています。

【五艘立て船絵馬】奉納年代不明
【二艘立て船絵馬】天保12(1841)年 
 願主 樽屋 栄助・松次郎
【神恵丸船絵馬】天保13(1842)年 
 願主 山本屋孫右衛門
【幸神丸船絵馬】万延2年(1861)年 
  奉納者 瀬戸屋吉三郎
【明徳丸船絵馬】明治8(1875)年 
 奉納者 仲屋下田嘉七郎

為世永神社の「船絵馬」の作者は、大坂の杉本派や吉本派の絵馬師が描いています。

関連サイト

都道府県

  • 兵庫県

市町村

  • 新温泉町

類型

  • 風待ち・潮待ち港

種別

  • 構成文化財
  • 奉納物
  • 船絵馬

サイズ
構造等

68cm × 91cm(5枚)

所在地

兵庫県美方郡新温泉町諸寄766-4
八坂神社

年代

  • 1841年-1875年 奉納

指定

新温泉町指定文化財(絵画、1985年)

参考資料

『但馬廻船史話』(安本恭二著、2002年)

関連情報

公開
為世永(いよなが)神社

他地域
との
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大阪府大阪市(船絵馬制作など)

 構成文化財 北前船航路図

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説明

諸寄港には、かつて北前船の船頭をしていた諸寄の日浦政吉が日本海沿岸から瀬戸内を中心に描いた手書きの「日本海上指針図」が残されています。航路図は、明治19(1886)年に書かれたもので、大坂~瀬戸内海~日本海沿岸~カラフト~東北~江戸までの航路・方位・港の様子、島の状況や航路が細かく書かれています。日浦家は、元は石州浜田瀬戸ケ島の出身で、屋号を瀬戸屋と呼ばれ、為世永神社の玉垣にもその名が刻まれています。

関連サイト

都道府県

  • 兵庫県

市町村

  • 新温泉町

類型

  • 風待ち・潮待ち港

種別

  • 構成文化財
  • 絵図

サイズ
構造等

紙製軸装 2530cm×945cm

所在地

兵庫県美方郡新温泉町諸寄707-8

年代

  • 1886年 製作
  • 明治時代

明治19年

指定

新温泉町指定文化財(絵画、1987年)

参考資料

『但馬廻船史話』
(安本恭二著、2002年)

関連情報

非公開(レプリカ公開)

他地域
との
つながり

島根県浜田市
(伝承:日浦家の出身地)

 構成文化財 北前船船名額

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説明

石塚家の持ち船「神護丸」に掲げられていた船額です。石塚家は、文化・文政期から明治12年頃まで、北前船による廻漕業を営んでいた廻船問屋です。

関連サイト

都道府県

  • 兵庫県

市町村

  • 新温泉町

類型

  • 風待ち・潮待ち港

種別

  • 構成文化財
  • その他

サイズ
構造等

木製62cm×33cm

所在地

兵庫県美方郡新温泉町諸寄3221

指定

新温泉町指定文化財(工芸、1987年)

参考資料

『但馬廻船史話』
(安本恭二著、2002年)

関連情報

非公開

男鹿市

船川港は男鹿半島南東部に位置し、北西にある真山などの山地が季節風を防ぐ恵まれた地形のため、明治44(1911)年の築港以前も、船が避難する「風待ち港」として利用されていました。汽船や大型帆船の時代に入ると、土崎港よりも海底が深く岩盤である船川港は注目を浴び、大正15(1926)年には3千トン級の埠頭が出来上がり、小樽―ウラジオストクの定期船が寄港するようになりました。また、北岸の北浦には秋田県最大の北前船主・田沼慶吉が学校や道路を建設するなど、彼の地域貢献の痕跡が残っています。

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概要

船川港は男鹿半島南東部に位置し、北西にある真山などの山地が季節風を防ぐ恵まれた地形のため、明治44(1911)年の築港以前も、船が避難する「風待ち港」として利用されていました。汽船や大型帆船の時代に入ると、土崎港よりも海底が深く岩盤である船川港は注目を浴び、大正15(1926)年には3千トン級の埠頭が出来上がり、小樽―ウラジオストクの定期船が寄港するようになりました。また、北岸の北浦には秋田県最大の北前船主・田沼慶吉が学校や道路を建設するなど、彼の地域貢献の痕跡が残っています。

都道府県

  • 秋田県

市町村

  • 男鹿市

類型

  • 風待ち・潮待ち港

類型

  • 風待ち・潮待ち港

年代

  • 年代不明

関連
文化財

関連
サイト

 構成文化財 田沼家土蔵

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説明

北前船で財をなした商人、田沼家の屋敷に残る江戸時代の土蔵です。国登録文化財。田沼家は、明治時代に回船業を営み、和船十数艘、西洋型帆船2艘を所有した秋田最大の船主です。

関連サイト

都道府県

  • 秋田県

市町村

  • 男鹿市

類型

  • 風待ち・潮待ち港

種別

  • 構成文化財
  • 建物

サイズ
構造等

土蔵2階建、鋼板葺、建築面積159㎡

所在地

男鹿市北浦北浦字池の田12

指定

国登録有形文化財(1998年)

 構成文化財 船鑑札(北浦田沼家土蔵内)

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説明

北前船で財をなした商人、田沼家の屋敷に残る船鑑札です。

都道府県

  • 秋田県

市町村

  • 男鹿市

類型

  • 風待ち・潮待ち港

種別

  • 構成文化財
  • その他

所在地

男鹿市北浦北浦字池の田12

 構成文化財 真山神社五社殿落書き(墨書)

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説明

松前、津軽、佐渡、能登、越中、越前、大阪などの北前船の船乗りたちが、海上安全、商売繁盛を祈願した墨書(落書き)が残る江戸時代後期の建物です。

関連サイト

都道府県

  • 秋田県

市町村

  • 男鹿市

類型

  • 風待ち・潮待ち港

種別

  • 構成文化財
  • 文書

所在地

男鹿市北浦真山水喰沢97

指定

秋田県指定有形文化財
(真山神社、1993年)

参考資料

澤田亨『真山神社五社殿(建造物)調査報告書』(2010年)

他地域
との
つながり

墨書を記載した船乗りの出身地 松前町、青森県(津軽)、新潟県佐渡市、石川県(能登)、富山県(越中)、福井県(越前)、大阪府(大坂)

 構成文化財 海難慰霊碑

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説明

北前船の船乗りの海難者を慰霊した石碑です。

【南平沢】
愛媛県の保井弥七郎の所有する「於多福丸」が、明治15(1882)年に船川村根島で破船し、乗組員9人が行方不明となりました。南平沢の佐藤作之丞が願主となり供養碑を建立しました。

【船川】
備前、大阪、海士からの海難者を弔う慰霊碑です。江戸時代に建立されました。

関連サイト

都道府県

  • 秋田県

市町村

  • 男鹿市

類型

  • 風待ち・潮待ち港

種別

  • 構成文化財
  • その他

所在地

秋田県男鹿市船川港南平沢
秋田県男鹿市船川港船川鳥屋場86

年代

  • 1882年 建立
  • 江戸時代
  • 明治時代

明治15年建立(南平沢) 江戸時代建立(船川)

他地域
との
つながり

愛媛県(遭難者した船乗りの出身地)

 構成文化財 双六の船絵馬

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説明

双六地区の船絵馬は、明治10年代から明治20年代にかけて、双六の神明社に奉納されたものです。当時の北前船交易に使用された弁財船が正面や横から見た姿で描かれています。詳しいことは不明ですが、北海道への商い船や漁船の船主が奉納した可能性が高いと考えられます。男鹿市内では完全な形で残る船絵馬はこの5点しか確認されていません。当時の操船技術に加え、明治20年前後の男鹿と北海道との繋がりや、漁業の歴史、暮らしぶりを知る上で大変貴重な資料といえます。

関連サイト

都道府県

  • 秋田県

市町村

  • 男鹿市

類型

  • 風待ち・潮待ち港

種別

  • 構成文化財
  • 奉納物
  • 船絵馬

サイズ
構造等

5点

所在地

男鹿市船川港双六(双六町内会)

指定

男鹿市指定民俗文化財
(有形民俗文化財、2009年)

 構成文化財 船川節(秋田船方節)

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説明

島根県の「出雲節」を北前船の船乗りたちが伝え、のちに船乗り相手の芸者が唄ったお座敷歌「船川節」となり、昭和14(1939)年に森八千代が「秋田船方節」として整えた民謡です。

都道府県

  • 秋田県

市町村

  • 男鹿市

類型

  • 風待ち・潮待ち港

種別

  • 構成文化財
  • 民謡

所在地

秋田県男鹿市内

年代

  • 1939年 創設
  • 大正以後

昭和14年に「秋田船方節」が成立

他地域
との
つながり

島根県(船川節のもとになった民謡・出雲節)